『岡崎渚のダイエット騒動』

「ただいまー」
 言いながら玄関を開けると、台所から渚の声が返ってくる。
「おかえりなさいです、朋也くん」
「いいにおいだな」
 気味のいい音を立てるフライパンを前に、エプロン姿の渚が立っていた。
「今日は豚さんです。もうすぐできますから、着替えて待っていてください」
 料理の音に混じるご機嫌な鼻歌を聞きながら、服を着替えてちゃぶ台に食器を並べ終えた頃、渚が入ってきた。
「お待たせしました」
 おままごとのように料理を並べ、ごはんをよそい、ふたりで食べる。
 幸せだった。
「さ、いただきましょう」
「いただきます」
 返事をして、ふと気がついた。
「渚。おまえのごはん、少なくないか?」
 明らかに少ない。トンカツが乗っているはずの皿には、キャベツの千切り「だけ」が乗っていた。
「食欲がないのか? 暑かったからな。もしかして調子が悪いんじゃないだろうな」
 額に手を当てようとして、遮られた。
「そういうわけではないです。体の調子はばっちりですので、気にしないでください」
 ガッツポーズをとって見せる渚だが、こと体調に関しては神経質にならざるを得ない。
「本当か?」
「本当です」
 ……
「本当に、体調は悪くないんだな?」
「本当に、悪くありません」
 ……
「だったら、ちゃんと食べなきゃだめだ」
 渚の皿に肉を流し込む。ごはんを盛ろうと茶碗に手を伸ばしたところで、止められた。
「だめですっ」
「わたしはこれだけでいいんです。朋也くんはお仕事が大変なんですから、いっぱい食べてください」
 流し込んだ肉が逆流してきた。
「ウェイトレスだって大変だろ。見た目より重労働だって杉阪が言ってたぞ」
 再び流し込む。
「もう慣れましたからそんなに大変ではないです。これは朋也くんが食べてください」
 再び逆流してくる。
「ちゃんと食べないと、倒れたりしたらどうする」
 再び流し込む。
「朋也くんこそ。わたしよりずっと疲れるお仕事なんですからしっかり食べてください」
 再び逆流してくる。
 …………
 ………
 ……
 …
 無言で肉を押し付けあう俺たち。なんなんだこれは。
 なんというか、渚の強情さはこんなときにも発揮されるんだろうか?
 何度目かの逆流で、ついに俺が折れた。
「なぁ、頼むからちゃんと食ってくれ。それだけじゃどう見ても少ないだろ。心配なんだ」
 情に訴えてみる。
「ごめんなさい。でも、本当に大丈夫ですから心配しないでください」
 すまなさそうな貌はしているが、失敗か。
「渚にもしものことがあったら、俺は…俺は…っ」
 泣き落としてみる。
「朋也くん、嘘泣きです」
 ばれてる。
「じゃあ、渚がちゃんと食べるまで俺も食べない。俺が明日、仕事中に倒れたら渚のせいな」
 脅してみる。
「そんなぁ!」
 テレビをつけてチャンネルを回してみるが、相変わらずくだらない番組しかやっていない。
 紀行番組があったのでそこで止めた。金だらいが降ってくるような番組よりはましだろう。
 …………
 ………
 ……
 …
 CMが始まるまでたっぷり迷ってから、渚が折れた。
「わかりました。言いたくはありませんでしたが、理由をお話します。それで納得していただけたら、食べてもらえますか?」
 テレビを消して向き直る。
「わかった。けど、ダイエットとか言ったら却下な」
「ええーぇっ!」
 的中かよ!?
「おまえさ、要らないだろ、ダイエットなんて」
「朋也くんは、朋也くんはわたしが豚さんになっても平気なんですねーっ!?」
 両手で貌を覆って泣き始めた。
 あー……やっぱ、早苗さんと親子なんだなー……
「だってさ、どこも太ってないじゃん」
「…………」
「………ませんか?」
「ん?」
「笑いませんか?」
 ……
 杏あたりがスタイル気にしてぎゃーぎゃー言ってるってんなら、容易に想像できる。
『あたしの前でそんなおいしそうに食べるんじゃない! もっとまずそうに食べなさいっ!』
 でも、それが渚っていうのは…?
 …………
 ………
 ……
 …
「朋也くん、なんだかニヤニヤしてます」
 はっ! 想像の渚があんまりかわいくてつい、ボーっとしてしまった。
「なんでもないぞ。笑わないから、ほら、言ってみろ」
 慌ててまじめな貌を装ったが、どうやら信用を損なってしまったようだ。
「やっぱり言いませんっ。朋也くん、絶対笑います」
 そっぽを向いてしまった。だが渚よ、お前は忘れてる。
 ジョーカー(最強の札)は俺の手にあることを。
「そうか……。俺は明日、腹が減って電柱から落ちることになるのか……」
「それはだめですっ」
「ほれ、言ってみろ。笑わないから」
 渚の貌に逡巡、決意、また逡巡が浮かんで何度目かの決意。
「ボタンが……」
 ボタン? そういえば杏のペットがそんな名前だったが、まさか関係はないだろう。
「制服のボタンが、きつくなったんです」
 …………
 ………
 ……
 …
「それで?」
 他に言いようがない。
「『それで?』って、大変なことじゃないですかっ!」
 そうなのか?
「まぁ、とにかく食べろって。食べないと病気になっちまう」
「…う…うぁぅぅ…」
 どうしてそんなに恨みがましそうな目で見る!?
「男の人にはわかりませんっ」
 ほほを膨らませてそっぽを向く渚はかわいいが、食事は大切だ。まして渚は体が丈夫なほうじゃない。
 なんとかしないと。
「渚」
「なんですかっ」
 そっぽを向きながらも律儀に返事を返すあたりが渚だ。
「太ったんじゃなくて、胸が大きくなったんじゃないか?」
「え…?」
 手ごたえあり! ここで一気に行く!
「思い当たることも、あるしな」
 なんだろう、と少し考えていた渚も同じ答えにたどり着いたらしく、貌を朱に染めて両手で胸を隠してしまった。
「朋也くん、エッチです」
 否定はしない。
「体重はさ、気になるならちゃんと記録をとって、それからまた考えよう。体重計とか買ってさ。今度の休みに買いに行かないか?」
「そうですね」
 この切り替えの早さも渚だ。
 振り返って壁のカレンダーを見ていた渚の様子が、なんとなく変わったような気がした。
「朋也くん。今日って、×△日でしたっけ?」
 カレンダーを見て確認する。
「そうだな。どうかしたのか?」
 渚は答えず、なおも、じーっと、何かを確認するようにカレンダーを凝視している。
「朋也くん」
「ん?」
「今度のお休みに、古河の家のほうに寄ってもかまいませんか?」
「いいけど、何か用事でもあるのか?」
「はい、お母さんに。いいえ、まだわからないです。ないしょです」
 ? なんのこっちゃ。
「わたし、ちゃんと食べますね」
 突然うきうきした様子の渚はおかずをきっちり等分していき、普段どおりにちゃんと食べた。
 いや、むしろ普段より多かった?
 渚の突然の変わりようの理由を、俺は次の休みに知ることになる。

fin.

ps.
 おっさんはマジ怖かった。






あとがき



 『スタイルを気にしている渚』は各自、想像してみてください。




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