『妖精』

 真っ赤な夕焼けに照らされたとある幼稚園の庭に、『妖精の輪』が作られていた。
 ハロウィーンにちなんで園児達が作ったそれはまるでおもちゃだったが、それは確かに『妖精の輪』だった。
 世界を隔てる扉が開き、この世ならざるモノが現れる。
「ここは、どこでしょうか……」
 少女のような外観をしたソレは、自分がどうしてここに居るのかわからないと言った風に、不思議そうにあたりをきょろきょろと見回した。
「幼稚園……でしょうか?」
 外周に沿って子供向けの遊具が配置された庭はどう見ても幼稚園だったが、その一角にどう考えても幼稚園に不似合いな大きな獣がうずくまっているのを見つけた。
「ボタン?」
 名前を呼ばれたイノシシは目を開けて少女を見た――はずだった。イノシシは首をめぐらして辺りに誰もいないと見ると、不思議そうに一声ないてまた目を閉じた。
 自分の姿が見えていない。そのことに気づいて、少女は少し顔をうつむけて唇の端をかみ締めた。
「仕方ありません。当然のことなんですから」
 再び顔を上げて庭を見渡すと、職員室に見知った顔を見つけた。白いレースのリボンは昔から変わらない。
「杏さん、お久しぶりです。ですが、挨拶は叶いそうにないのでこれで失礼します」
 少女は門に向かって歩き始めた。
「においがします。かわいいにおいです。待っていてください、風子、これから会いに行きます」
 少女は門扉を突き抜けて、遭魔が時の黄昏に溶けていった。

 秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、かわいいにおいのするアパートの前にたどり着いた時には、あたりはすっかり暗くなっていた。
 扉の前に立ち、呼び鈴に手を伸ばしかけて、やめた。
「必要ありませんでした。ですが風子は礼儀正しいので、無断で入ったりしません」
「もしもしこんばんは、風子です。おじゃまします。はいどうぞ」
 自己完結して扉を通り抜けた風子は、部屋に漂う料理の匂いに驚いた。
「すごくいい匂いですっ、もしかしたら風子よりも料理が上手かもしれないですっ、汐ちゃんまだ幼稚園なのにすごいですっ」
「はっ、それともここは○17歳の世界なんでしょうか。それは予想外でした! 風子に匹敵するないすばでーな○ちゃんが居たりするんでしょうかっ」
「ともかく、台所へ行ってみましょう」
 靴を脱いで部屋に上がると、クッション代わりのだんごをおなかの下に敷いて、畳に転がって絵本を広げた汐がいた。汐はぱちくりと目をしばたかせている。
「あぁっ、汐ちゃん可愛いですっ! このままお持ち帰りしてしまいたいですっ!」
 汐は自分のあたまを撫でる風子を不思議そうに見ていたが、可愛さに目がくらんだ風子はそのことに気づかない。
「お姉ちゃん、だぁれ?」
 まさか見えているとは思いもしていなかった風子はとんでもなく驚いた。
「汐ちゃんには、風子のことが見えるんですか?」
 汐は風子の言っている意味がよくわからないと言った様子で少し考えてから、うん、と頷いた。
 風子の貌が困ったように少し曇る。
「仕方の無いことなのかもしれません。鳥は鳥、ヒトデはヒトデ、そして汐ちゃんは汐ちゃんですから」
 今度こそ、汐にはまったく意味がわからなかった。
「ところで、台所に居るのは誰でしょうか。早苗さんでしょうか?」
 汐は首を振った。
「ううん、違う。ママー」
「お、岡崎さんまさか再婚したのですかっ!?」
 驚きおののく風子をよそに、汐は台所へ駆けて行く。
「危ない! しおちゃん、ママが台所に居るときは急に飛びついちゃいけませんって言ったでしょう?」
 聞き覚えのある声に、風子はこれ以上は絶対無理! というくらい、驚いた。
「晩御飯の用意が出来たら、パパが帰ってくるまで絵本を読んであげますから、もう少し待ってくださいね」
 トトトトトト。小気味よく響く包丁がキャベツを綺麗な千切りにしていく。
「ううん、お姉ちゃんが遊んでくれるから」
 包丁が止まった。
「お姉ちゃん、ですか?」
 小さな汐を見下ろす形で、その貌を覗き込む。
「うん。あのね、知らないお姉ちゃん」
 いつのまにか誰か来ていたでしょうか? 気づきませんでしたが。
「そのお姉ちゃんは、どこにいますか?」
 汐が振り返り、棒立ちになっている風子を指さした。
「そこ」
 汐の指さす方向には誰も居ない。 突然、汐があわて始めた。
「お姉ちゃん? お姉ちゃんどうしたの? おなかいたい?」
 よくわからない状況に、渚はとりあえず汐に話を合わせることにした。
「どうかしたんですか?」
「お姉ちゃんが泣いてるの。どっか痛い? 大丈夫?」
 おろおろと心配する汐までが泣き始めてしまう。
「汐ちゃんは優しいですね」
 汐をそっと抱く。渚もまた、しゃくりあげる汐を抱いた。
「大丈夫、大丈夫…」
 二人の声が重なり合う。
 汐が、涙にぬれた顔で風子を見た。
「痛いところはありません。うれしかったんです」
「……うれしいのに、泣くの?」
「はい、汐ちゃんにも、いつかわかります」
 汐にはまだうれし涙は理解できない。けれど、悪いことは何もおきてないことはわかって安心した。
「ただいまー」
 扉を開けて、朋也が帰ってきた。
「おかえりなさーい」
 抱く手にかまわず、汐が駆けていく。その貌はもう笑顔で、さっきまで泣いていたことなど嘘のようだ。
「お帰りなさいです。ご飯できてますから、先に手を洗ってきてください」
 渚が朋也の手からかばんを受け取り、いつもの場所に置いて台所へ向かう。汐がだんごや絵本の片付けをしている。
 そんな光景を風子はじっと見ていた。
「お姉ちゃん?」
 きょろきょろと何かを探す汐を見て、朋也がどうしたのかとたずねた。
「お姉ちゃんがどこかへ行っちゃったの」
 お姉ちゃん? 誰かが居たようには見えなかったが……渚?
 視線を投げると、渚が首を横に振った。渚もその、お姉ちゃんとやらを見ていないようだ。
 なんだろう? 子どもは神に近いと言うし、汐にだけ見える誰かがいたのか?
 思わず部屋を見回すが、もちろん誰も居ない。
 ……まさか、な。
「もう暗いからな、お姉ちゃんもお家へ帰ったんだよ。さ、晩御飯食べような」
「うん……」
 晩御飯はハンバーグとかぼちゃのスープだった。
「今日は幼稚園でハロウィンのお祭りをしたそうです。藤林先生が言ってました」
 汐の分別が付くまでは、家の中でも杏のことを『藤林先生』と呼ぶのが岡崎家のルールだ。
 ハロウィンと聞いて、朋也は考えた。
「さっき汐が言ってたお姉ちゃんてさ、妖精だったのかもな」
「ようせい?」
 ぐー握りのスプーンでスープに格闘を挑む汐に、正しい持ち方を教えながら渚が答える。
「金色の髪をした、人間よりもずっと賢くてずっと長生きをする種族のことです」
 汐の反応からすると違うようだ。
「違うみたいだな」
「妖精にもいろいろ居るんですっ。あ、羽があったりはしませんでしたか?」
 汐の反応からすると違うようだ。
「違うみたいだな」
「妖精にもいろいろ居るんですっ。……朋也くん、わたしのことキライですか?」
「泣くなよこんなことくらいで」
「な゛い゛て゛ま゛せ゛ん゛」
 子供よりも大人の方が賑やかな食卓から一枚隔てた窓の外に、部屋の明かりを見上げる少女が立っていた。
「また会いましょう、汐ちゃん。きっと、もうすぐです」
 アパートに背を向けて歩き出す。
「風子は辿るべき道を見つけました」




fin.


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