『誕生日 ~歩み~』

「お先っス」
 名札を裏返す。
「なんだ、今日はやけに早いな」
「はぁ、渚のやつが……」
「渚さんがどうかしたのか?」
 芳野の顔が曇った。
「今日は早く帰ってきてって言うもんですから」
「「「「……とっとと帰れ!!!」」」」

※※※※※※※※

「ただいまー」
「おかえりなさーい」
 駆け寄ってきた汐を抱き上げて部屋を見ると、テーブルに豪華な料理が載っていた。
「朋也くん、お帰りなさいです」
「なんだこれ? 今日何かあったっけ」
「朋也くんそれ、本気で言ってますか?」
 渚は呆れ顔だ。どうやら俺が本気でわからないらしいと察した渚は汐に言った。
「しおちゃん、わすれんぼのパパに今日が何の日か教えてあげてください」
「パパ、お誕生日おめでとー!」
 え? と壁に掛かったカレンダーを見ると、今日は確かに10月30日だった。
「すっかり忘れてたよ。ありがとな、汐」
「おめでとうございます、朋也くん」
「ああ、ありがとう。しかし本当にすっかり忘れてたよ」
「大丈夫です。朋也くんが忘れてもわたしが覚えてます。あ、でも……」
 何かを言いよどむ渚。その頭の上に手を乗せる。
「大丈夫、お前の誕生日は忘れないよ」
「……えへへ」
 渚が照れくさそうに笑った。

「いただきます」
 今日はご飯じゃなく、ケーキが載せられた皿に手を合わせる。
 俺の誕生日だというのに、料理の内容は俺向けと言うよりは汐向けだ。
 汐に渚の一番を取られたようで寂しい反面、ケーキをほおばる汐の嬉しそうな貌が一番のプレゼントにも思える。
 これも父親の醍醐味というヤツだろうか。
「しおちゃん、顔がクリームまみれになってます」
 渚は汐の頬に手を添えて、クリームを……舐めとった。
 こっこれはっ! なんというかドキドキするようなシチュじゃないはずなのに妙にドキドキするな……
「汐、汐」
 俺はずりずりとあぐらをかいたまま汐の隣まで移動し、その頬に手を添えて反対側のクリームを舐めとった。
「朋也くんっ!」
「え? なに?」
「だめですっ」
 渚の貌は赤い。
「なにが?」
 わざとすっとぼけてみせる。
「しおちゃんにそんなことしちゃだめですっ」
「だって、今お前したじゃん」
「と、とにかく! 朋也くんはそんなことしちゃだめですっ」
「もしかして、妬いてる?」
「妬いてないですっっ」
 渚ってほんと、かわいいなぁ。
「汐、ママおもしろいだろ?」
「ーんと、よくわからない」
 ようやく、からかわれてることに気づいた渚はしゅんとしてしまった。
「朋也くん、わたしのことキライですか?」
 俺はクリームを指ですくって渚の頬に塗り、それを舐めとった。
「好きだぞ」
「あ、ありがとうございます……」
 渚の貌は、さっきとは違った意味で赤い。結婚してもう何年もたつのに、いつまでも初々しい嫁だった。
「パパとママはラブラブーっ、ヒューヒューっ」
 ぶっ
「しおちゃん!?」
「どこで覚えたそんな言葉っ!」
 脳裏で、最凶の悪魔がニヤリと嗤った気がした。
「……別の幼稚園に変わったほうがいいんじゃないか?」
「いえ、そんなことは。藤林先生はとてもいい先生ですし」
「藤林先生やさしくてたのしくてすき。ナベもとってもおもしろい」
 昔っから同性と子供には受けがいいんだ、あいつは。
「せめて、汐をいたずらの手先にするなと言っといてくれ……」
 昔っから人の話なんて聞きゃしないけどな。

 おなかのくちくなった汐が船をこぎ始めたのを合図に、俺たちは寝る準備を始める。
 テーブルを片付け、布団を敷き、寝間着に着替えて、川の字で布団に入った。
 汐が寝てしまうと、あとは二人だけの時間だ。
「わたしの誕生日までは、同い年ですね」
「そうだな」
 二ヶ月にも足らない間だが、俺と渚は同い年になる。
 なんだか、渚との距離が肩がふれあうほどに縮んだような気がする。渚も同じように感じているんだろうか。
 渚の誕生日が来てまたひとつ違いになる時には、渚との距離が広がったように感じてしまうのだろうか。
「誕生日が来てお前が一歩先に進んでも、俺はまたちゃんと追いつく。そうやって歩いていこう」
 いいや、両足が何時までも並んでいたらそこから進めない。離れるんじゃない、歩くんだ。
「はい。一歩一歩、朋也くんと、しおちゃんと三人で」
 俺たちはまだ登り続けている途中なんだ。あの、長い長い坂道を。
 いつか時が過ぎて俺たちの歩みが止まっても、汐は更に先へと歩いていく。
 どこまでも。あの遙かな高みを目指して。

fin.


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