『始まりの土地』
間違いない、ここだ。
一面に広がる草原を眺めながら、記憶の底をさらう。
――ここで、俺は父親になった。
緑に混じって、かすかに潮が香る。
朋也は歩き始めた。
この先には岬があって、そこには祖母がいる。
祖母に会うことが出来たら、俺はオヤジを赦すことが出来るのだろうか。いや、赦す赦さないならとっくに赦している。
それでもオヤジに会う覚悟が出来なくて、あと一押し、誰かに背中を押して欲しくてこんな遠くまでやってきたのか。
「我ながら情けねーな」
とはいえ、10年以上も続くわだかまりを解くことは難しい。欲しいのはきっかけだった。
岬は――無人だった。
「当然か」
この旅は早苗さんが差配したものではない。朋也がここに来ることを、祖母に知らせる人はいないのだから。
朋也は海を見ていた。蒼い水平線の果ては白く霞み、風はほとんど無いのに波頭にはウサギが跳ねている。遠く波の砕ける音もする。荒海だった。
短い秋が過ぎて冬になれば、鉛色の海が牙を剥いて空を呪い続ける、そんな詩の通りの光景が広がるのだろう。
始まりの日、父は何を思いながらこの海を見たのか。幼かった自分もこの海を見ていたはずなのに、何も思い出せないことが少し歯がゆい。
あまり日が傾かないうちに今夜の宿を探さなければと振り向いたとき、上ってくる年取った和服姿の女性が見えた。
凝視する朋也の目線に気づきながら、その人は平然と進んできて隣に立って海を見ている。朋也は身動き一つ出来なかった。
「観光ですか?」
女性の一言で朋也の金縛りが解けた。
女性は海ではなく朋也を見ていた。その目には、懐かしい昔を見るような感情が揺れていた。
朋也には目の前の女性が自分に何を見ているのかはっきりとわかっていた。その目をしっかりと受け止めて言う。
「いいえ。あなたに、あなたに会いに来ました。俺の名は岡崎朋也、岡崎直幸の息子です」
「――っ」
見つめあう4つの瞳からは、いつしか涙があふれて……
涙をぬぐうように、史乃の手が朋也の頬をなぜた。
「大きく、なりましたね。憶えていますか? あなたと直幸は、ここから始まったのですよ」
朋也はただ頷くことしか出来ない。
「あの子は、よい父親ではなかったでしょうね」
朋也が激しく首を振ると、史乃はうれしそうに目じりを下げた。下がった目じりからまた、ひとすじ涙がこぼれた。
「直幸は、いたらないまでも立派に勤めを果たしたのですね。朋也さん、ありがとうございます」
そう言って頭を下げる史乃は、いつまでたっても、どれだけ離れても、どれほど歳をとっても、直幸の母親なのだった。
「朋也さん」
貌を上げた史乃は、いささか真剣な面持ちで言った。その声には、疲れ果てた我が子を哀れむ色が滲んでいた。
「あの子に伝えてください。母は、ずっとこの土地で待っていると。あの子はもう、休んでもいいはずです」
朋也は姿勢を正し、誓うように言った。
「はい。必ず」
※※※※※※※※
「ただいまー」
「あ! パパだ! おかえりー」
「朋也くんおかえりなさいです」
荷物を下ろして汐を抱き上げる。
「ごめんなー、汐。今度のお休みはどっか行こうな」
「うん、やくそくー」
差し出された小指に小指を絡める。
「お疲れさまでした」
朋也は『父親のことで出かけてくる』とだけ渚に話していた。渚の貌には多少の不安が浮かんでいる。
「汐、お土産があるからな」
お土産と聞いてはしゃぐ汐をおろし、荷物の中からおもちゃを取り出した。
「汐のひいおばあちゃんからだ。大事にするんだぞ」
渚はその一言ですべてを理解した。渚の貌に喜びが満ちる。
「これから、行ってくるよ」
「はいっ、行ってらっしゃい」
涙ぐむ渚に見送られ、朋也は向かう。高3の春以来、一度も訪れることの無かった自分の家へ。
fin.
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