『みみかき』
「渚」
お風呂上がりの早苗さんに手招きされた渚がとことこと寄ってくると、早苗はぽんぽんと膝を叩いて、
「はい、ここに頭を乗せて横になってくださいね」
横には、ベビーオイルの小瓶と綿棒、それに耳かきが用意されていた。
「動かないでくださいね」
膝枕に頭を預け、渚は目を閉じて眠ったようにじっとしている。すべすべの感触を楽しむように膝をなでる小さなてのひらが、眠ってはいないことを示していた。
耳かきで傷付けないよう真剣な貌で、しかし膝から伝わる子供特有の高い体温が我が子の存在を感じさせ、自然と目が細くなるのは仕方のないことだった。
膝をなでる手が止まり、渚は本当に眠ってしまう。だから、囁くように降り注ぐ早苗の子守歌のことも覚えていない。
覚えているのは温かくて、柔らかくて、すべすべと気持ちの良い膝の感触と、なにより膝枕してもらって嬉しかったこと。
おぼろげな遠い記憶。
※※※※※※※※
「しおちゃん」
お風呂上りの渚に手招きされた汐がとことこと寄ってくると、渚はぽんぽんと膝を叩いて、
「はい、ここに頭を乗せて横になってください」
横には、ベビーオイルの小瓶と綿棒、それに耳かきが用意されていた。
「動かないでくださいね」
膝枕に頭を預け、汐は目を閉じて眠ったようにじっとしている。すべすべの感触を楽しむように膝をなでる小さなてのひらが、眠ってはいないことを示していた。
耳かきで傷付けないよう真剣な貌で、しかし膝から伝わる子供特有の高い体温が我が子の存在を感じさせ、自然と目が細くなるのは仕方のないことだった。
幸せな気持ちに背中を押され、知らず、口から歌がこぼれ始める。
「だんごっ、だんごっ」
汐の手がリズムに合わせて動き、一緒に歌い始める。
「だんごっ、だんごっ」
「だんごっ、だんごっ」
3人目の声が重なった。お風呂から出てきた朋也だった。
「ママに耳掃除してもらってるのか、気持ちよさそうだな」
「うん、とっても。それにママ、いいにおい――わっ!?」
汐の体がはねた。渚が汐の耳にふーっと息を吹きかけたのだった。
「はい、きれいになりました。今度は、反対の耳を見せてください」
汐の顔がこんどは渚のほうを向き、朋也からは見えなくなる。すこしくぐもっただんごの歌が聞こえてきた。
汐の頭に手を添えて耳を掃除してやる渚の貌は、幸せな母親の貌そのものだった。
朋也には母親の記憶が無い。もしかしたら、自分もこんな風にしてもらったことがあったのだろうかと、じっと見ていた。
「あとで、朋也くんにもしてあげましょうか?」
見られていることに気づいた渚が、顔を上げずにいう。
もし上げていたら、その貌はほんのり桜色に染まっていたかもしれない。
膝枕をされた朋也がおとなしくしていたためしなど、一度も無いからだ。
「おうっ、してくれっ!」
「返事がよすぎますっ」
そうこうしている間に、汐の耳は両方とも綺麗になったようだった。
「はい、終わりました」
汐は渚の膝に座って耳に手を当て、聞こえ方を試すように器用に変調しながらだんごを唄っていた。
「今度は朋也くんの番です」
「パパの番ー」
膝から飛び降りた汐が、朋也の脚にしがみついて登っていこうとする。
「おいおいズボンがずれる」
それを抱き上げて、言った。
「じゃ、頼もうかな」
「パパのお耳もきれいきれいー」
「あわっ!?」
朋也が素っ頓狂な声を上げた原因は、急に耳に息を吹きかけた汐だった。
それを見ていた渚が、にっこりと微笑んだ。
「元気に育ってくれて良かったな」
「はい。朋也くんのおかげです」
渚の膝に頭を預けて横たわる朋也の目線の先には、すうすうと寝息を立てて眠る汐がいる。
汐が起きていると、全身の体当たりで遊ぼうとしてくるので、危なくて耳かきを使えないのだった。
「俺だけじゃない。渚がいる。早苗さんもおっさんもいる。幼稚園には杏も居る。俺ひとりでは、汐を幸せにはできなかった」
「朋也くん?」
「ん? いや、なんでもない」
汐が産まれたときの、不思議な記憶のことを朋也は誰にも話していない。
あれが夢だとは、朋也は思っていない。昨年、朋也は記憶を頼りにひとりで岬に行き、祖母と会っている。父・直幸も故郷へ帰っていった。
「朋也くん」
黙り込んでいる朋也の上に、囁くような声が降ってくる。それは独り言のような、返事を求めない声だった。
「……」
「わたしも小さい頃、おかあさんに耳そうじして貰ったことあります。しおちゃんと同じように、膝枕で」
「……」
「朋也くんもきっと、して貰ったことがあると思います」
「……そうかもな」
「はい、きっと。だって、お母さんですから」
「……」
朋也には母親の記憶がない。それでも、信じることができた。自分もきっと、こんな風にしてもらったことがあったのだと。
そして思うのだった。来年は行こう、渚と、汐と一緒に。
あの花畑へ、あの岬へ、そして、母の眠る墓へと。
fin.
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